2013-08-15

日本人であること

今日は終戦記念日。 the memorial day for the end of the war です。

8月15日は、私たち日本人にとっては終戦記念日で、
あの悲惨な戦争がやっと終わった日であるとの認識が強いですが、
米国などの連合国側では、Victory over Japan Day (V-J day) として、

日本に勝利した日と呼ばれることもあるようです。

今日は 私が日本人であることを、強烈に意識したできごとを
少し思い出してお話しようと思います。(マジメです。)

カナダの大学で寮生活をしていたとき。

お部屋は2階建てのメゾネットタイプで、1階にカナダ人が2人、
2階は私と、隣室に香港からの留学生、そしてカナダ人3人の計7人で
オモシロオカシイ共同生活をしていました。

隣の香港人の女の子が卒業して、アジアからの留学生が住み始めました。

仲良くしようとあいさつに言ったら、

「あなたは、日本人でしょ、日本人だから、嫌い!
日本人は他のたくさんの人を殺したんだ。
お祖母さんの兄弟や親戚が殺された。
知ってるの? 日本人は殺人を犯した民族なんだよ。
だから嫌い、日本人とは話をしたくない!」

一方的にしかも面と向かって言われて、しばしカタマリました・・・。

「あなたの言っていることはわかる。
日本がやってしまったこと、許されないことがもちろんあるのは知っている。
でも、私は日本人だけど、人は殺していないよ?
私は当の本人じゃないから。私が戦争に行ってやったことじゃないもの!」

というようなことを答えたと思います。

言い逃れをしたものの、ただ日本人であるいうだけで嫌われた、そのことが
ものすごくショックでした。

私が私であることよりも、
私が日本人であることのほうが、
強烈な印象を相手に与えているのだということ。
他の国が日本という国をどのように見ているのか、
私は、自分が日本人であることを、外側から眺めたことはなかったのです。

そして、昔の世代の人たちが語り継いでいる印象や価値観は、
子や孫にそのまま受け継がれて、偏見にさえなっていくんだなと。

そんな経験から、私は日本を外から眺めるということに興味を持ち始めました。

どこの国籍とかナニジンだから、という思い込みや印象を
周りの人に受け継がずに、
宇宙船地球号のクルーとして、人間としてつきあっていくには、
どうしたらいいのか?

そんなことを考えるきっかけをくれた できごとでした。